PCI:その頃はライブハウスでの活動が主だったんですね。 フュージョン系ですか?
とし:その頃はほとんどの仕事がフュージョン系でしたね。


PCI:その頃の活動で印象に残ってることはありますか?
とし:やっぱり、スティーブ・ルカサーが目の前にいた時のことですかね。その頃、毎週「ベイクドポテト」っていうライブハウスで、「セシリア・ノエル&ワイルドクラムス」というバンドが演奏してたんです。当時のギターがヘナチョコだったんで、僕を入れてくれないかな?って思って、毎週見に行ったんです。3カ月くらい通って、デモテープを渡したんです。そしたら、テープを一本くれて、そこに入ってる15曲を5日後のGIGまでに「譜面ないけど全部覚えてこい」って言われ、それでセシリアでやれる様になったんです。セシリアに入ったお陰で、もう一つ、ランクアップしたミュージシャンの友達が増えました。それで、ある日、ベイクドポテトでやってる時に、ルカサーが目の前に来て、聴いてたんです。で、どんどん僕の所にブランデーみたいなのを注文するんです。 飲んで置いとくと、また注文されて出てくるんですよ。ルカサーが僕にどんどん買ってるんです(笑)あんまり飲んでないと、「飲め」って合図されて。すごい緊張したんですけど、GIGが終わった後に、「よかったよ」って言ってくれたんです。もうこっちは涙チョチョギレですよ。(笑)

PCI:それは、セシリア・ノエル&ワイルドクラムスの演奏ですね?フュージョンだったんですか?
とし:そうです。ラテン、フュージョン、ロック、なんでもありっていう感じでした。ギター、ピアノ、ドラム、パーカッション、ホーンセクション、バックアップシンガー、っていう編成でした。

PCI:本格的なバンドだったんですね。どこのベイクドポテトでしたか?
とし:オリジナルのノースハリウッドの店です。ホーンセクションがステージに乗りきれなくて、バーのカウンターに座って吹いてましたよ(笑)このバンドはすごかったですよ。ドラマーのトリスは「シカゴ」と演ってましたし、キーボードのラリーコーンはベットミドラーなどとやってましたし、パーカッションもルイス・コンテ、レニー・カストロなど有名どころが交代で出ていました。

PCI:セシリアとの活動はステップアップのきっかけになりましたね。
とし:そうですね。3年間ずっと毎週月曜日にやりました。 
PCI:セシリアで演ってみえる頃に、いろんな人の目に止まり、 テレビでの仕事も来る様になったんですか?
とし:そうです。ドラムのトリスが「シカゴ」のツアーなんかでいなくなっちゃうと、サブが必要になるじゃないですか。そこで、サイモンフィリップスだとか大物ドラマーがどんどん来てくれることになり、注目を浴び、僕らの演奏を見てくれていたドラマーのテリーリンキャリントンが、さっきみなさんが見えた時に、ここにいたグレッグに紹介してくれたんです。 



2000年の9月まで放映していたテレビの「マーティン・ショート・ショウ」というトークショウのハウスバンドです。 バンド名は DCO右下はバンマスでパーカッションのピーター・マイケルエスコヴィド(ライオネル・リッチー、スティービー・ニックス)で、シーラ・E の弟さんです。 その上はBassのランダ・スミス(プリンス)、その横はKeyboardのジェフ・バブコ(サイモンフィリップス)、その下はDrumsのウィリアム・ケネディー(イエロウジャケッツ)、Toshiさんの左は2nd Keyboardのミルトン・ネルソン(映画音楽のコンポーザー)です。

PCI:グレッグは、テレビ関係の仕事をやってたんですね?
とし:クインシージョーンズのプロダクションが始めるトークショーのバンドのバンマスだったんです。普通のバンドじゃ面白くないから、いろんな色の人間、いろんなことのできるミュージシャンを集めたかった様です。ドラムは女性のテリー、僕がギターでアジア人じゃないですか。で、黒人のベーシストと、白人のセカンドキーボード、それでラテンのパーカッション、そしてバンマスのグレッグという編成のバンドになったんです。

 
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