Blue Johnson インタビュー (2/3)

 

「タイへの移住とマイケル・ジャクソンの危険なアジアツアーの裏話」

PCI:それは何年のことでしたか?

Blue:1982年のことでした。 そしてハービー・メイソンのマネージメントの仕事をさせてもらって転身できました。 その後、リー・リトナーのツアーマネージャーの仕事もさせて頂き、彼の東南アジアツアーは企画から全て仕切らせてもらったんですよ。

PCI:リー・リトナー・バンドが初めてアジアへ行ったツアーですね?

Blue:そうです。 1982年でした。 それが私の運命的なタイという国へのコネクションのきっかけにもなりました。 

Photo by Hiroshi Mochizuki (Copyright 2002 Hiroshi Mochizuki)

PCI:大きな転機になったんですね。 その後はしばらくリー・リトナーのマネージメントをされたんですか?

Blue:2年ほど彼等の全米ツアーのマネージメントもやりました。 その後、アルジャローのマネージャーを6年やりました。

PCI:マネージャーのかけもちはされなかったんですね?

Blue:一人のアーティストと仕事をスタートすると、そのスタッフ全員とチームを組んで集中していい仕事をしたいんでかけもちは極力しませんでした。 アルジャローとの6年間は彼のマネージャーとしての仕事だけに専念していました。

PCI:アルジャローは当時世界中へ頻繁にツアーに行かれていましたよね? 全てあなたがマネージされたんですね?

Blue:そうです。 アルは特にヨーロッパで絶大な人気を誇っていました。 中でもフランスとドイツで。

PCI:アルジャローの次には誰と仕事をされましたか?

Blue:シーナ・イーストン、バリー・ホワイト、デビッド・サンボーンなど色々なアーティストのマネージャーをやらせて頂きました。

PCI:マネージャーとして具体的にはどんな仕事をされていましたか?

Blue:主にツアーとプロダクションのマネージメントです。 例えばアルジャローの場合、ツアーには通常35人のスタッフがいて、3台のバスと3台の40 フィートのトラックで移動します。そのツアーの手配と管理を世界中で一手に引き受けます。 プロダクションの方は、レコーディングスタッフ、ミュージシャンの手配、管理から、CDジャケットデザインの手配まで全て行います。 それから予算管理、納期管理まで。 

PCI:大変重要な仕事であること想像がつきます。 ミュージシャンの全幅の信頼も必要ですし、精神的にもタフでなければできない仕事だと思います。 部屋には仏像とか仏教関係の置物が多いのですが仏教にも関心があるのでしょうか?

Blue:ワイフはタイ人で仏教徒なんですよ。

PCI:奥様と知り合ってからタイに興味を持たれたんですね?

Blue:いや違います。 リー・リトナーのアジアツアーの時タイという国の言葉、文化に大変興味を持ったんです。 そして言葉や文化、仏教の勉強を始めたんです。 その後たまたま仕事でオーストラリアへ行った際にワイフと出会いました。 彼女は当時オーストラリアに留学していたんです。 3年間つきあった後、タイのバンコックへ行って結婚しました。 1988年のことでした。 1989年には彼女も一緒にアルジャローの世界ツアーを回りました。 そしてその後、タイへ移住することにしたんです。 バンコックでの生活です。

PCI:今でもバンコックには家があるんですか?

Blue:はい。 結局バンコックには5年間住み、息子が生まれ、教育はこちらで受けさせたかったので、ロサンゼルスにも拠点を持ち行ったり来たりしています。

Photo by Hiroshi Mochizuki (Copyright 2002 Hiroshi Mochizuki)

息子さんのMingはピアノが上手!

PCI: バンコックにいる間にもツアーマネージャーの仕事はされてたんですね。

Blue:はい。 その頃の著名ミュージシャンのアジアツアーには必ず何らかの形で私が関与していたと思います。 また、タイでアメリカの著名ミュージシャンがコンサートをする最初の実積も作りました。 BB Kingやデビッド・サンボーンなどもタイで演奏して音楽ファンには大変喜んで頂きました。 その頃はもうタイ語を話せる様になっていましたから業界では重宝されたのかもしれませんね。

PCI:1989年から1994年までバンコックに住んでみえたんですね。 その頃はアメリカのミュージシャンが多くアジアツアーをやった頃ですよね?

Blue:その頃はアジアの景気も良かったんでね。 ご承知の通り、1999年頃からは経済状況が悪化しアメリカのミュージシャンによるアジアツアーも激減しました。

PCI:そうですね。 確か、マイケル・ジャクソンのアジアツアーもあなたが関与されたとか?

Blue:はい、おもしろいエピソードがあります。 あの時の事件はニュースにもなりましたが覚えてみえるかもしれませんね。 あのマイケル・ジャクソンの危険なツアーはバンコックから始まったんです。 確か1993年の9月でした。 例の男の子の問題で色々悪く新聞に書き立てられていた頃です。 タイ政府もマイケル・ジャクソンの公演を許可するかどうかで直前まで大変もめていました。 バンコックのスタジアムが古く、建物に大きな亀裂があるのが発見されたんです。 5万人以上もの人が入場したら建物が崩壊するとまで一時は報道されていました。

PCI:まずはコンサートをバンコックで実現させるまでが大変だったんですね?

Blue:そうです。 ぎりぎりまで公演できるかどうか分からない状況でした。 アメリカのマイケルのスタッフ達からは毎日の様に電話でどうなっているか問い合わせがありました。 マイケルのアメリカのマネージメント会社は新しいところに変わったばかりでしたしよけいに不安だったんでしょう。 そして彼等はタイの湿気と暑さを大変過小評価していました。 現地の事情を知らないので無理もありませんが。

PCI:9月でしたからバンコックはまだ大変蒸し暑かったんですね?

Blue:そう。 9月のバンコックでは場合によっては毎日の様に雨が降り、気温も大変上がります。ロサンゼルスとは大違いです。 

PCI:それで何が起きたんでしょうか? 

Blue:アジアツアーへ発つ時、マイケルの弁護士もスタッフ達も男の子の新聞報道のことでピリピリしており、マイケルの家からロサンゼルス空港まで何人ものガードマンを付けて送ることにしたんです。

PCI:厳戒態勢ですね。

Blue:ところが、ボディーガードとスタッフ達が大挙してマイケルの家に着いた時、家はもぬけの殻だったんです。 マイケルは自分でさっさと China Airline に電話してチケット入手し、一足先に一人でバンコックへ飛び去ってしまったんです。

PCI:大騒ぎになったんじゃないですか?

Blue:マイケルのスタッフ達はパニックでしたね。 マイケルはつけ髭とかで変相してたんですね。 空港でもChina Airlineでも誰も気が付かなかった様です。(笑) マイケルは一人になりたかったんでしょうね。 つかの間リラックスできたのでは? 分かる気がします。

PCI:それでバンコックへは無事着いたんですか?

Blue:すぐタイ側のプロモーターに、マイケルが単身でChina Airline でバンコックに着くからと連絡が入り、タイの警察だけでなく軍隊も出動して厳戒体制の中マイケルが一人飛行機から降りてきました。 そして危険なアジアツアーが始まったんです。 

PCI:何が起きたんですか? 

Blue:バンコックの国立スタジアムで2晩コンサートをやることになっていました。 1晩に55,000人の観客が来ることになっておりチケットは完売です。 最初のコンサートの日になりました。 大変蒸し暑い日でした。 そして最初の1曲を歌っただけで、もうマイケルはせき込み汗びっしょりでフラフラになってしまったんです。 本来は2時間ノンストップで歌い、踊りまくるショーのはずでしたが、6曲以上カットし、曲と曲の間も長い休みを入れ何とかその晩を乗り切りました。 終わり次第マイケルは皆に抱きかかえられホテルへ戻ったんです。 嫌な予感がしました。

PCI:それで2日目はどうなったんでしょうか?

Blue:悪い予感は的中しました。 マイケルはダウンして2日目はやれないことになったんです。 そしてスタジアムに55,000人の観客が入るまで中止のアナウンスがされなかったんです。 私の友人で香港にプロモーターがいるんですが、彼等は当初香港でマイケルのコンサートを企画していました。 ところが香港政府の許可が降りずにやむを得ず香港のマイケルのファンを大量に引き連れてチャーター便でバンコックの2日目のショーに来てたんです。 予定ではマイケルのショーが終わり次第次の日に香港へとんぼ返りすることになっていました。その人達もこの5,5000人の中にいたんです。 

PCI:これはただでは済みそうにありませんね。 タイのプロモーターはどうしたんでしょうか?

Blue:プロモーターの責任者はたいへん臆病で、自分で55,000人の前に出ていってコンサートが中止になったことを告げることが出来なかったんです。 そこで彼は事務所で働いていた19歳の女性にその大役をやらせたんです。 可愛そうにその娘は震えながらステージの中央まで行って「I'm sorry but Michael Jackson will not perform today.」
と蚊の鳴く様な小さな声で言ったんです。

PCI:それでスタジアムはどうなったんでしょうか?

Blue:その娘も含めて皆で一目散でタクシーで非難しました。55,000人のものすごい怒号が町中に一晩中響き渡ったことは言うまでもありません。 悪夢でした。 香港からチャーター便で来たファンたちはマイケルのショーを見ずに次の日香港へ帰って行きました。

PCI:たいへんな夜でしたね。 それでマイケルのショーはその後どうなったのでしょうか?

Blue:ショーは延期になったんですけど、バンコックの蒸し暑さのためマイケルの体調がすぐれず、ショーが出来たのは結局3日後でした。 その後マイケルはシンガポールへも行ったんですが、まったく同じ事態に陥りました。 

PCI:やはりシンガポールの暑さで?

Blue:そうです。 最初のショーを演ったあと体調を崩し、2日目から出来なくなったんです。 マレーシアのクアラルンプールからも大量にファンが見に来てたんすが中止と決まりパニックになりました。 もともとシンガポールで一晩、マレーシアで一晩ショーをやる予定だったのですが、マーレーシア政府がコンサートの許可を出さなかったので結局シンガポールで2晩やることになったのです。 2晩目はマレーシアからたくさんのファンが来てたんです。 

PCI:たいへんなことになったんですね。 この時のツアーではマイケルは日本へは行かなかったんですね?

Blue:日本のツアーはこの悪夢のアジアツアーの6ヶ月前、確か1992年の12月にやったはずです。 

PCI:アジアツアーは結局どこを回ったんですか?

Blue:バンコック、シンガポール、そしてタイペイです。 それからマイケルはメキシコへ飛び、中南米ツアーを引き続きやることになっていたのですが、その後ツアーが中止となりました。 覚えてますか? マイケルが行方不明になってしまったんです。 色々な不運が重なってしまいました。

 
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